Standing in the Yard

演劇、戯曲の感想、小ネタなど

【短評】本公演が見たい…!(ITI『サイプラス・アヴェニュー』)

 ITI(国際演劇協会)はこれまでも多くの意義ある企画をやっている。ワールド・シアター・ラボ(WTL)は最も新しい企画で、翻訳を主眼にワークショップ、上演、出版までを行う。実は筆者は、本公演『サイプラス・アヴェニュー』のワークショップにも参加していた。各参加者の着眼点や疑問はいずれも大変示唆に富んでいた。

 

 『サイプラス・アヴェニュー』は初演から観客に爆笑と戦慄を与えていた話題作であったが、コンテクスト故に日本では上演されないだろうと思っていた。というのも、アイルランド在住のイギリス人(プロテスタント)のアイデンティティについての話だからである。これを詳細に説明することは本稿では(ものすごく大変だから)しないが、出てくるいくつかの単語や固有名詞もアイルランドあるいはイギリスの事情に明るい必要があったので、日本での公演は難しいかもしれないと思ったのだ。

 本公演は、その懸念が杞憂であったことを証明してみせただけでも意義があったと言える。エリック・ミラーのクソ真面目故のズレっぷりは、大森博史の演技によって見事に観客の笑いを引き起こした。特に、ロンドンのアイリッシュ・パブに行った時の出来事を語る際の語り口は、真面目なのだがそれ故におかしくなってしまう、「下手ウマ」なスタンダップ・コメディを見ているようで愉快だった。大森氏の演技が下手だと言っているのではなく、そもそものテクストがその効果を狙っているのだ。

 真面目故にズレてしまったエリックを笑っていた観客は、最後に凄まじい冷や水を浴びせられる。エリックの「孫がシン・フェイン党の元党首ジェリー・アダムスである」という主張が、冗談かあるいは何か別の主張の代替として言われているのか、いずれにせよマトモに取り合わず軽く見ていた観客は、エリックが暴力行為に及んだ段階になって初めて、コトの重大さに気づくのである。

 (広義の)妄想を扱った作品を多く見て来たが、これほど戦慄したものはあまりないように思う。既に家族を3人殺してしまった後にカウンセラーと話す際のエリックは、極めて穏やかである。大森の、いかにも真面目そうな、育ちの良さそうな、紳士な佇まいが余計に恐ろしかった。

 

 本公演は、中央のテーブルに俳優がついて台本を読むリーディング公演だった。エリックの妄想が加速するとぶら下がっているペンダントライトが点滅して観客の気持ちを不安定にさせたり、娘と妻をエリックが殴る際にテーブルを殴ってショックを狙ったりと、効果的な演出がいくつか盛り込まれていた。ただ、決定的な衝撃を観客に与えるはずの、ゴミ袋に入った孫を床に叩きつけて殺すシーンの演出は、ゴミ袋に赤ん坊が入っているとは思えず、今ひとつだった。

 俳優は大森を筆頭に素晴らしかった。特に、エリックが孫の殺害を依頼するスリムを演じた大石将弘は、過剰な苛烈さと滑稽さが見事だった。また、娘が死んでいると知った後のバーニーの焦りと絶望が、つかもと景子の演技によってひしと伝わった。

 

 それだけに、リーディングだったことが惜しい。どうしても固有名詞の流暢さに欠け、エリックの行動への衝撃が鈍くなる。このラストを伝えるには、俳優が目の前で動く必要があるのではないだろうか。筆者は加虐嗜好のある人間ではない(と信じている)が、それでも本来狙われたラストのショックを感じたい。本公演の上演を切に希望する。